鍼灸師の教育課程では、『死』についての学習がないか、あってもごくわずかと思います。
流産は不妊で治療されていた方にとっては、自身の死、家族の死にも値するのではないかと感じます。
体外受精では、凍結胚を移植するとき『子供を迎えに行く』と思われる方もいらっしゃいます。凍結した胚の写真を見てわが子のように『可愛い』と声に出すかたもおられます。私には全く不思議ではなく、当たり前に思います。
流産、死をどう受け入れるか。
以前に不妊鍼灸ネットワーク時代に、不妊症専門看護師の菅野先生(ファテリティクリニック東京・看護師長)の講義を受けたことがありました。
その時のテーマがキューブラー・ロスの著書の抜粋からの、流産について、でした。
死=流産を受け入れるまでの心理状態のプロセスをまとめたものが、『死の瞬間』に書かれています。
流産してしまって、それですべての治療を終了する方もおられます。一方、新たに治療に踏み出す方もおられます。どちらが正しいということはありません。
術者としては、患者さんがから治療復帰の連絡を待つことしかできません。