震災の傷あと

GWはボランティア活動で始まりまして、続いて家内実家の田植え。

輝く太陽の下、顔面日焼けでピリピリ。しかし体を動かすのは気持ちいいです。

残りの休日は家内とドライブ。行き先はずっと行きたかった浪江町へ。震災の遺構を見るために。

浪江町立請戸(うけど)小学校です。
すでに小学校としては使われていなくて、震災の遺構として展示されています。
https://namie-ukedo.com/

1階の部分は完全に津波に呑まれ、2階部分はなんとか大丈夫だったようです。

3月11日金曜日は、上級生が残って卒業式の予行練習をしていたのだそうです。

教職員の皆様の迅速で的確な判断により、だいぶ離れていますが、大平山と言う山に避難。

そのあと通りがかりの大型トラックの荷台に、子供たちと教職員皆さん全員を山盛りに乗せてもらい、役場に避難できたそうでした。

数十人の子供達、教職員のみなさまは無事だったそうですが、たぶんそのご家族には犠牲になられた方もいた事でしょう。

近くには請戸川が流れていて、震災前は鮭のヤナ場があり、家内の実家では稲刈りの終わった秋に良く行ったそうでした。

そのヤナ場の大将は山本さんと言う方で、家内の父親と大変親しい仲になったのだそうでした。

山本さんは今も行方不明だそうで、家内の父も当時はあらゆる伝手を使って安否を探っていました。

震災から数年経ち、不妊症で通っていた小学校の先生がいました。真面目に良く通い無事に子宝に恵まれ、そろそろ当院も卒業と言うころ、浪江町が出身と言うので、山本さんの話をしました。

何ということか、その先生は高校の時にヤナ場でアルバイトをしていたそうで、山本さんの事を良く覚えていたそうでした。

その方からも、やはり行方不明のままであると聞かされました。

山本さんのお孫さんとか、もしかしたらこの小学校に通われていたのかも知れません。

いろいろと思う事がある、良いドライブでした。